東京都江戸川区。自動車、廃車、トラック・乗用車の買い取り、自動車リサイクル総合商社の佐藤商会です。

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会社案内


会社名 有限会社佐藤商会
所在地 東京都江戸川区篠崎町4-17-27  アクセスマップはこちら>>
TEL 03-3670-4451(代)
FAX 03-3670-4453
代表者 佐藤守
業務内容 商業自動車売買・トラックリサイクルパーツ販売・コンテナ販売・バン&トラック板金塗装・全種自動車&パーツ探し仲介
定休日 日曜・祝日・第2土曜・年末年始・ゴールデンウィーク・盆
資本金 1,000万円
主な仕入先 大手&中小企業運送会社・トラックディーラ・オークション
取引銀行 三菱東京UFJ銀行・三井住友銀行・東京東信用金庫




佐藤昭蔵会長
私は山形から上京し、就職難で何でも仕事がしたいと思い、F商店に就職。F商店は中央区入舟町に位置し、自動車解体をする会社でした。今の銀座までは歩いて10分位の所です。
初めての初任給は住み込み・手取り1,000円でお風呂代は社長が出してくれました。当時はラーメン一杯15円。休みの日は10円で山手線がぐるぐる回れました。
ある日、田舎の甥っ子が小学1年生に進学するにあたり、入学祝いとしてランドセルを買って欲しいと言われ、700円のランドセルを買ってあげられなかったことを覚えています。1,000円の給料では、高額な商品だったからです。
タバコが吸いたくても変えない状況だと分かって貰えますよね!仕方なく、タバコは吸い殻から拾い、吸っていました。田舎にも汽車代が高く帰ることなど出来ませんでした。
その様な環境の中で生活できたのは、会社の同僚との豪遊があったからです。その時は楽しくて東京からの帰省など考えたことはありませんでした。終戦後の銀座は、今とは違う輝きを持っていました。
話がずれたので、元に戻ります。当時の仕事は現在とは変わりない内容ですが、酸素バーナー・ユーニック・クレーン・フォークリフト等はございません。全て自力での作業でした。
ここで1つ問題です。ボルトナットを外すのはどうしますか?簡単なことですよね。現在では緩む方向に回せば外すことが出来ます。その場合は平たがねを使い、絞る方向に力任せに叩いてあげますと意外なことにボルトが割れて外すことが容易になります。一度試しにやってもらえれば理解して貰えるでしょう。10ミリのボルトはたがねを使えば簡単に外せますよ!!
重い物を持ち上げるにも自力です。ピアノ屋さんが運ぶような感じで持ち上げる方法と天秤の要領でエンジンをトラックの荷台に載せていました。今の乗用車のシュレッダーダストの部分(乗用車ガラ)はアメリカ製ヤンキー(斧)を使用して半分に切り裂いて、乗せて処分場まで運んでいました。普通の人では大変な商売で且つ利益が出そうな商売だったので私は魅力を感じていました。
しかし、前にも言ったように遊び好きが揃っている会社なので、入社後6年で会社は倒産しました。その後、O運送で1年間働きましたが、解体屋に未練があり退社し、M商店で半年働きました。以前にも仕事をしていたせいか、仕事内容は理解していて働きやすかったのですが、給料が安く生活できないために独立を考え、独立しました。
初めての経営にあたりH商会のKも独立したので2人で共同会社を設立しました。仕事内容は東京23区を自動車で営業、連絡先をI自動車に置き、連絡が来たら、月島のスクラップ業者の3厘車でレッカーをしてもらい、そこで解体をしてもらいました。
部品は立川で売りさばき、非鉄金属は自宅横の交番のおまわりさんに24時間体制で監視してもらっていました。当時の非鉄金属は1番高価ので、路上駐車で交番の横に置くことができたことが幸いでした。
それから、共同会社を辞め、一人で会社を設立。いつものように23区内営業周りをしていましたら、六本木の修理屋さんでTディーラーのKさんと知り合い、Kさんの勤務先の新宿Tディーラーから廃車をかなり頂きました。今でもTディーラーのOB会に参加できるような仲になっております。それからIディーラーにも入り、トラックの解体に切り替わり現在に至っております。

佐藤守社長
皆さん初めまして。私の生い立ちをご紹介させて頂きます。
私は、佐藤商会の次男としてこの世に生まれました。生まれた時から、解体屋の息子として育ちました。小さい頃の想い出としまして食事の際に、玉子かけご飯で妹と玉子1つを半分に分けて食べるのに、どちらが先にかけるかでよく喧嘩したことを覚えております。自分が欲しい物はなかなか与えてもらえず、大半の友達が買ってから買って貰えたような気がします。
その頃から欲がなくなったのではなく、よく考えてから物を買う習慣が出来たのかも知れません。子供の頃、よく仕事場で遊んでいて怒られたことを覚えています。当時は、油の汚れが気にもしない程やんちゃなガキでした。
私が初めてアルバイト感覚で仕事をしたのは中学3年生の春休みです。酸素バーナーのその時に教わりました。それから休みになるとアルバイトは家の仕事の手伝いをしていました。その頃子供でありながら物を運ぶ力が備わっていたので、従業員には重宝がられました。そうですよね、私が運んでしまえば運ぶ必要が無くなるのですから。
その時は苦にもならなく楽しくて手伝いをしていました。体を動かしながら働ける楽しみを知ったのはその頃でしょう!
大学に入り、バイトする時間に制限が出来てきた頃、アルバイトを何度かしましたが、やはり私は健康な体を維持することが出来てお金が頂ける仕事に就きたいと思い、大学の仲間が一流企業に就職していく中、私が選んだのは親孝行の出来る仕事、後を継ぐのが1番合っているのではなかろうか?そう思い、家で働くことになりました。
正社員になった時、青森から修行のためにN氏が同時入社。彼には負けられないという意志をそこで固め、業に徹していました。その頃は、道がかなり混み合う時期でしたので、早出は朝3時頃から5時には行きました。6時になると混み合うので、運送業者が走り出す前にに出発を心掛けていました。
解体は、はっきり言って辛い仕事です。汗水垂らして、油で汚れて、尚且つ疲れる仕事です。しかし、そんな仕事でも外国の恵まれている人々との交流があり、外国に行けばその人たちのかなりの接待が受けられます。その時初めて日本人の心の冷たさを感じました。
私が経営者になるにあたって行っていくことは、本業は大事なことですが、色々な人との交流です。そこでまた違った勉強をして、自分の器を大きくしていきたいと思っております。
これからも色々やりたいのでご理解とご協力お願い致します。そして(有)佐藤商会を宜しくお願い申し上げます。

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